先日日本でも報道された、アメリカのミネソタ州で黒人男性のジョージフロイドさんが白人警官に首を押さえつけられて死亡した事件。
人種差別を訴える抗議行動がアメリカ各地で行われ、カナダでもその動きが広がりました。
今回は、ジョージフロイドさんの事件を受け、私が住んでいるカナダでの黒人の歴史はどうだったのかを学んでみました。
👆この記事の内容
- カナダにおける黒人の割合や様々なデータ
- カナダにおける黒人の歴史
- カナダに来る一人として考えたいこと
- 私たちができること
少し難しい内容ではありますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
Contents
黒人を英語で表現するにはどのワードを使うべきか
まずカナダにおける「黒人」を英語でどのように表現するのが良いのかということについて、私が調べた感じだとこのようなことがわかりました。
- Black Canadian (ブラックカナディアン)・・・広く受け入れられている表現
- African Canadian (アフリカ系カナダ人)・・・奴隷として北米大陸にやってきたアフリカ人を先祖にもつブラックカナディアンによって使われる表現
- Caribbean Canadian (カリブ系カナダ人)・・・北米大陸にやってきたカリブ人を先祖に持つブラックカナディアンによって使われる表現
一般的にはBlack CanadianやBlack people / person と表現して問題ないようです。
カナダの黒人の割合
Statistics Canadaで最新情報として発表されている2016年の統計データを参考にしました。
この調査データより以下の結果が分かりました。
💡情報集めのポイント
情報を集めるとき、大まかな概要などはWikipediaを参考にしても良いと思いますが、より正確で詳細な情報を集めたい場合はカナダ政府が発表しているものまたはドメイン名が.caで終わっているをサイトを参考にするのが良いと思います。
ドメインが.caで終わっているサイトは国コードが割り当てられたトップレベルドメインとされ、.com終わりのドメインと比べて信頼性と安全性が高いサイトだからです。日本の場合は.jpで終わっているサイトがトップレベルドメインです。
基本的なデータ
対象:人口国勢調査「Census of Canada 2016」で自身が「人口グループ:黒人」に当てはまると答えた人
※人口グループは12あり、黒人と白人のどちらも選択した人は対象外
カナダにおける黒人の人口は120万人で2016年の総人口3,515万人の約3.5%を占めています。
2036年までに黒人人口の割合は5.0%〜5.6%になると予想されています。
人口 / 年 | 2016 | 2036 (予測) |
カナダ総人口 | 3,515 | 約4,010〜4,770 ※1 |
黒人人口 | 120 | 約200〜267 ※2 |
人口単位:万人
※1: 2036年のカナダ総人口数の予測はStatis Canadaの人口予測を参考にしたもの
※2: ※1を使用して計算したもの
州別の黒人人口数
州別に見てみると、私の住んでいるオンタリオ州が黒人人口の最も多い州となっています。
また、ケベック州は黒人の人口率が急激に上がってきています。
州 / 準州 | 人口 |
オンタリオ | 627,715 |
ケベック | 319,230 |
アルバータ | 129,390 |
ブリティッシュコロンビア | 43,500 |
マニトバ | 30,335 |
ノバスコシア | 21,915 |
サスカチュワン | 14,925 |
ニューブランズウィック | 7,000 |
ニューファンドランド・ラブラドール | 2,355 |
プリンスエドワード島 | 825 |
ノースウェスト準州 | 760 |
ヌナブト準州 | 330 |
ユーコン準州 | 270 |
カナダ全体 | 1,198,540 |
オンタリオ州では約150カ国から黒人系の人が移民していて、中でもジャマイカ系の人が一番多いようです。
私の住んでいるナイアガラでも、ジャマイカンレストランや雑貨店、マートなどがあります。
黒人居住率の高い都市5つ
カナダの黒人人口120万人のうち、94%の112万8000人は大都市に住んでいます。
中でも、以下の5都市が黒人の居住率が最も高いとされています。
- トロント
- モントリオール
- オタワ
- エドモントン
- カルガリー
カナダの黒人の歴史
※カナダの黒人の歴史について記載している英語サイトを訳して書いています。
簡潔に書いたつもりではありますが、情報が足りていない部分などあるかもしれません。
記録に残っている中で、現在のカナダに初めて来た黒人はMathieu da Costa (マチュー・ダ・コスタ)とされています。
彼は1608年にフランス人探検家Samuel de Champlain (サミュエル・ド・シャンプラン)の通訳者としてカナダにやってきました。彼は、奴隷ではなく自由市民でした。
その後17世紀から18世紀にかけて数千人のアフリカ人が奴隷としてカナダにやってきたとされ、カナダの奴隷制度が始まっていきます。
1793年、※アッパーカナダ議会は段階的に奴隷制度を廃止する法案「Act Against Slavery」を可決しました。
出典:Wikipedia
※アッパーカナダ:現在のオンタリオ州。当時は、カナダ東部を東北に流れるセントローレンス川を挟んだ川の上流をアッパーカナダ、下流をローワーカナダ (現ケベック州)と呼びました
この法案は、アッパーカナダの初代副総督だったJohn Graves Simcoe (ジョン・グレーヴス・シムコー)によって発案されました。
出典:Wikipedia
彼は差別的な法律に反対する人物でした。
法案の内容
- 現在アッパーカナダに居住する奴隷たちはこのまま奴隷とする
- アッパーカナダに新しく奴隷を連れて来ることを禁じる
- 奴隷として生まれた新生児は25歳になったら奴隷ではなくなる
完全な奴隷制度の廃止にはなりませんでしたが、カナダにおける奴隷制度廃止への大きなステップとなりました。
また、当時まだ奴隷制度が認められていたアメリカ南部から3万人以上の奴隷が自由を求めて逃亡しました。行き先は奴隷制度が廃止されていたアメリカ北部やカナダでした。
この時逃亡する奴隷たちを手助けしたグループがいました。Underground Rail (地下鉄道)と呼ばれる奴隷制度廃止論者やアメリカ北部の州の市民たちの組織でした。
カナダに逃亡した奴隷たちは、現在のオンタリオ州南部 (ナイアガラ、ウィンザーなど)に住むようになりました。
現在、黒人人口の最も多い州がオンタリオ州なのはこのためと言われています。
そして1833年、イギリス議会がイギリス植民地における奴隷制度を完全に廃止するSlavery Abolition Act (奴隷廃止法)を制定し、1834年8月1日からこの制度が有効になりました。
💡Emancipation Day (解放の日)
現在でも、多くのカナダ人が8月1日を「Emancipation Day (解放の日)」として記念しています。
毎年トロントで開催される北米最大のカリビアンイベント「カリバナ」も、解放の日を記念するイベントの1つとされています。
しかし1910年、カナダ政府は新しい移民法を制定し、カナダへ移民するための制限を拡大して、理想的でない人種やのカナダへの移民を禁止するようになりました。
「理想的ではない人種」に「Black」という記載があった訳ではありませんでしたが、この移民法によって数十年間は黒人のカナダ入国が減りました。
1955年、カナダ政府はThe West Indian Domestic Scheme (上手い日本語訳が分かりません・・・)を制定し、18歳〜35歳までの健康な独身カリブ人女性のカナダでの1年間の就労を認め、就労後は永住権を発行するとしました。
これによって2600人以上のカリブ人女性がカナダに入国しました。
1967年、カナダ政府はポイント制度を移民システムに導入し、人種、肌の色、国籍などは審査要素ではなくなりました。
この新しい移民システムにより黒人の移民は再び増加しました。
カナダで起きた黒人に関する事件
これまでカナダで起きた黒人に関する事件2つを紹介します。
レージス・コルチンスキさんのケース
出典:CBC
この事件は、ジョージフロイドさんの事件後に起きたものだったため、すぐに話題になりました。
大まかに事件の内容を説明します。
5月27日17:15、レージスさんのお母さんがトロント警察に通報。家庭内で揉め事があり、自体が悪化する前に彼女を精神施設に連れて行って欲しいとの要望を出しました。
トロント警察がレージスさんの住むマンション (24階)に駆けつけた時、彼女のお母さんとお兄さんは廊下にいましたが、レージスさんの部屋へ入る事は許可されなかったそうです。
その後、部屋からレージスさんお母さんに助けを求めるレージスさんの泣き声が聞こえた後に静かになり、警察がレージスさんが部屋のバルコニーから落ちたことをお母さんに伝えました。
なぜレージスさんがバルコニーから落ちたのか、監視カメラの映像などがまだ公開されていないため真相は不明です。
しかし、彼女のお母さんが「警察が彼女をバルコニーから押した」を主張する動画を撮ったり、彼女のいとこが「彼女が自分から飛び降りる事はない」と主張するなどしたため、警察がレージスさんをバルコニーから押したとして人種差別だと抗議する人が増えました。
アルバート・ジョンソンさんのケース
出典:Paul Barrett
1979年8月、当時35歳だったジャマイカ系の移民男性アルバート・ジョンソンさんが二人のトロント警察官によって銃で撃たれ亡くなりました。
アルバートさんは精神疾患がありました。
二人の警察官は起訴されたものの1980年に無罪が確定しました。
カナダに来る一人として考えたいこと
カナダに留学やワーホリで来る多くの人は、カナダを選ぶ理由の一つとして「他民族国家で寛容な国だから」を挙げると思います。
私がカナダに留学に来ると決めた時も、それが理由の一つでした。そして、それは間違いではないと思います。
5年住んで受けた差別的な扱いといえば、2〜3度ほどアジア人であることを罵るようなことを言われたくらいです。
ですが、実際はカナダにも奴隷制度が存在していたり、今でも差別的な扱いを受ける人がいるのも事実です。
カナダに来る一人としてこうした歴史や事実を学んだり、人種差別はあってはいけないと声を上げることが大切だと思います。
私たちができること
最後に、私たちが個人のレベルでできることをいくつか挙げてみます。
黒人の歴史について学ぶ
一番最初のステップは、黒人の歴史について学ぶことだと思います。
私は今回カナダにおける黒人の歴史について学びましたが、彼らの歴史や経験してきたことについて正しく事実を学ぶことが大切です。
今回、記事を書くにあたり参照したサイト (英語)とウェブページを紹介します。
特に、ヒストリカ・カナダは年表を使って説明しているのでわかりやすいので、気になる方は見てみてください。
また、アメリカにおける黒人の歴史に興味がある人は、以下のNetflix作品を観てみることをおすすめします。
- ボクらを見る目 (When They See Us)
- 憲法修正第13条 (13th)
- LA92
人種差別反対への声を上げる
人種差別への反対の声を上げることも大事です。
でも、デモに参加したりするのはちょっと・・・という人もいると思います。
コロナの状況もあり、私も人が密集するところはできるだけ避けたいと思っているのでデモには参加しておらず、心の中では人種差別はダメとわかっていても、思うだけでした。
ですが、インスタグラムでこのポストを見てハッとさせられました。
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If you are neutral in situations of injustice, you have chosen the side of the oppressor.
訳すと、「不正の中で中立でいることは抑圧者の味方をすること」となり、私は「声を上げないことは不正を認めるのと同じ」と解釈をしました。
そして、デモには行けなくても、一人のブロガーとして歴史や事実を学び、人種差別はあってはいけないと意見することはできると思いました。
デモへの参加だけではなく、こうしてSNSやブログなどに投稿したり意見を言ったりすることも声を上げることの一つだと思います。
黒人コミュニティをサポートする
黒人コミュニティをサポートすることも個人ができることの一つです。サポートの方法としては以下が挙げられます。
まとめ
今回の記事は通常より長く、読みにくい部分もあったと思います。
それでも最後まで読んでいただきありがとうございます。
カナダは歴史が浅い国ではありますが、短い歴史の中で黒人に対する扱いや制度が変わりました。
この記事を読んで、カナダや他の国における黒人の歴史や現状について学ぶきっかけになったら嬉しいです。
また、学んだことなどをシェアできたらもっと嬉しいです。
ご意見や学んだことのシェアなどありましたら、コメント欄にコメントをお願いします。
それでは次の記事でお会いしましょう!bye👋
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